筋トレで身につく「自分を追い込む力」は仕事ができる人に必須の能力

日々の生活編

なぜ、筋トレをしている人は仕事ができるのだろうか?超文化系人間の僕が実際に筋トレを始めて分かったのは「筋トレによって、仕事でいちばん大切な「自分を追い込む力」を鍛えられるから」だと思う。

仕事が出来る人は共通して「手が早い人」

「仕事ができる人」と言われてどのようなイメージを浮かべるだろうか。難しい交渉をクリアする人、何を質問してもズバッと鋭い意見を言う人。確かに仕事の各場面でそういうことをこなせる人は「仕事がデキル人」というイメージを持つ。しかし、そのような「この人仕事ができる!」と思う場面に直面する機会は少ないのが実情である。

どちらかと言うと日常的な仕事の場面において、「この人仕事ができる!」と思う人は「手が早い人」ではないだろうか。手が早い人、スピードが早い人というのは仕事がデキルように見える

仕事で評価されるために大切なのはその日の内に終わらせるという「追い込み力」

仕事がデキル人に共通するのはその日の内に終わらせるという「追い込み力」だと考えている。どんなに能力が高い人であっても、その日の内に終わらせようという意欲がなければダラダラと仕事を続けることになりかねない

そして、働き方改革が叫ばれる現代において、ダラダラ残業をする人は評価されないし、むしろ手が遅く見える。むしろ評価されるのは、ささっと仕事を片付けてしまえる人である。そして、さっさと仕事を片付けるためには自分を「追い込む力」が欠かせない

筋トレはひたすらに「自分を限界まで追い込む作業」に他ならない。

筋トレというのはひたすらに「自分を限界まで追い込む作業」に他ならない。筋トレというのは筋肉を鍛えるトレーングであるのは当たり前のことだが、ある意味において「筋トレは限界まで追い込むことができる精神力を鍛えるトレーニング」とも言える。

なぜなら、筋トレで十分な効果を出せるかどうかは、どれだけ「自分を追い込むことができるか」にかかっているからである。

腕立て伏せの1セット中における最初の1回と最後の1回は別物

例えば、腕立て伏せを1セット20回行うことを考えた場合、その20回は均等に筋肉にトレーニング効果を与えるのだろうか?

そんなことはなく、1回1回のトレーニング効果、重みというのは回数が増えるほどに増加していく。簡単にこなせる最初の1回目よりも筋肉が疲労し力が落ちてきた最後の20回目の方が筋肉をより強力に刺激できる。但し、その最後の20回目というのは筋力が落ちた状態で行うのだから当然ツライ。しかし、そんなツライ作業を乗り越えてこそ、筋肉は肥大化する。

自分を限界まで追い込むのはツライ。しかし追い込んでこそ筋肉は肥大化する。

筋トレはツライ。前述したようにトレーニングを1回1回をこなす毎に筋肉は疲労し、力が入ってこなくなる。トレーニングをこなす毎に自分の筋力が落ちていく中で、持ち上げられるか持ち上げられないかという切羽詰まったギリギリの所まで筋肉を刺激することが出来て、初めて筋肉は効果的に肥大化するのである。

ゆえに、筋トレというのはひたすらに自分を限界まで追い込む作業に他ならない。当然、人は楽をしたい生き物であるから自分を限界に追い込むことは嫌でしょうがないはずである。

しかし、そんな精神的にもツライ作業をこなさなければ筋肉を肥大させることはできないのである。この筋トレを通して鍛えられる自分を追い込む力というのは仕事を行う上で最も大切な要素だと思う。

自分を追い込むと仕事のスピードが上がるのはなぜか?

仕事で「火事場の馬鹿力」を経験したことがある人は多いと思う。

  • 明日までにレポートを出さなければならない。
  • 今日中にこの仕事を片付かなければならない。
  • この仕事の期限まで残り1時間しかない!

制限時間であったり追い込まれると、人は集中力がアップし、仕事が効率化する。これは我々が危機的な状況に陥った場合、脳からは「アドレナリン」が分泌される。そして、このアドレナリンは、脳の働きを強化するため、集中力や学習能力が向上し脳の働きが研ぎ澄まされる。

結果、普段では考えられないほどの集中力を発揮し、仕事を片付けてしまうのである。しかし、この「アドレナリン」は「やらなければ」という追い込みの精神がない人には効果がない。今回はいいやとか、諦めの精神が身に染み付いている人間には出すことができないのである。なぜなら、その人は危機感を感じていないのだから。危機感を抱いていない以上、「アドレナリン」なども分泌されないのである。

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